2012
01.31

圓諦さん

Category: 法句経
友松圓諦(ともまつ えんたい)とは、私の曽祖父の弟さんです。
お米屋さんの次男として生まれ、親戚のお寺に預けられ、宗教家としての道を歩んだ人です。

この圓諦さん、お坊さんの中ではまあまあ有名人みたいです。
私がお寺にお嫁に来られたのも、この人の名前のおかげかも・・・

実家にいる頃から、時折円諦さんの名前は祖母から聞いていましたが、そのときは「ふんふん・・・」ってな感じでそれほど興味はありませんでした。

ただ、最近、住職の蔵書の中に『法句経 友松圓諦訳』を発見し、読んでみたところ(まだ途中だけど)、
「うわ~~~、この人すごい人なんだ~~~」と今更ながらに思ったのです。

この法句経(ほっくきょう)はお釈迦様の死後、かなり早い時期に集録したものなので、お釈迦様の実際の言葉に近いもののようです。
この法句経、すべて詩の形式をとっています。
実際お釈迦様がみんなの前で詩を詠んだかは定かではありませんが、この本の解説の部分に
・なるべく記憶しやすい工夫の一つ
・詩であれば、抜け落ちたり、余計なものが混じりこむこともしにくい
とあり、なるほどね~~、と新米和尚と納得してしまいました



さてさて、これからこの法句経を一つづつ紹介していこうかな~、なんて考えています。


では早速・・・



意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
諸法(すべて)は意(おもい)に成る
意(おもい)こそは諸法(すべて)を統(す)ぶ
けがれたる意(おもい)にて
且つかたり 且つ行わば
輓く(ひく)ものの跡を追う
かの車輪のごとく
くるしみ彼にしたがわん


現代語訳↓
もろもろの事象は意志にしたがって生起する。それゆえに、意志はそれらに対して支配者であり、作者である。
誰でも、もし不純な意志をもって、或いは語り、或いは行うならば、やがて、くるしみは彼にあとづける。
ちょうど、車を挽(ひ)いてゆくものの足跡を追ってゆく車輪のように。
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