法句経11・12

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法句経

十一
精要(まこと)なきものに 精要(まこと)ありと思い
精要(まこと)あるものを 仮(あだ)と見る人は
いつわりの 思いにさまよい
ついに真実(まこと)に 達(いた)りがたし

現代語訳
本質でないものを本質であると考え、又、これとは反対に、本質であるものを本質でないものと見るような、こうした人々は決して本質に到達することは出来ない、むしろ、あやまった思想の境界をさまよう。

十二
精要(まこと)あるものを 精要(まこと)ありと知り
精要(まこと)なきものを 仮(あだ)と見る人は
正真(すぐ)なる思いに たどりすすみ
ついに真実(まこと)に 達(いた)るべし

現代語訳
本質であるものを本質とし、本質でないものを本質でないものとするような、かく正しい認識をする人々は、ついに本質に到達することが出来る。したがって正しい思想の圏内に住する。



お寺は何のためにあるのか。  お寺はだれのためにあるのか。

そんなことを住職の言葉から考えさせられた。


欲張っちゃいけないよ。

そんなことを寺庭の行動から教えてもらった。

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