死ぬというのはどういうことか。

こどもの頃、怖かったことがある。


火葬されてる途中に、
棺桶の中で目覚めたらどうしよう。

そう思ってた。


それがすごく怖かった。


去年、
身近な人を亡くし、
「死ぬ」ということを改めて感じ、考えた。


「死」って終わりのイメージがあるけど、
実は違って、

「死」ってつながってる線のひとつのポイントなのかな、
って思う。

タスキの受け渡し地点、みたいな感じかなー。


だから、
「死」は終わりじゃなくて、継続。


生きてる間は全然意識してなかったけど、
亡くなった人の想いとか、習慣とか、
その人から教えてもらったこととか、
そういうのが染み込んで、
今のワタシが作られているように感じる。


次にワタシが死ぬときには、
その前に亡くなった人の想いとかが混じったワタシの想いが
次の人に染み込んで、
また続いていく。


汗が染み込んだタスキみたいかも。

でも、
リレーと違うところは、
「死」の場合はそのタスキが1人の人だけに渡るんじゃなくて、
何人もの人に渡せるとこ。


実際、
おばあちゃんのおはぎは
私だけじゃなくって、
叔母にも、母にも、従姉妹にも、娘たちにも伝わっているから。


大きいあばあちゃんとおはぎ作り

だから、きっと、
ワタシの体には汗が染みたタスキがいくつもかかってる。
見えないけど。



見えないからこそ、
お墓があったり、
法事があったりして、
そういうことを思い出すきっかけがあるのかもなー。


棺桶の中で目覚めるのはやっぱり怖いけど、
「死」は怖くないように思える。


おばあちゃんのお茶碗を形見にもらって、
そんなことを考えた。
おばあちゃんのお茶碗

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