2012
10.23

軌道修正中です。(法句経19・20)

Category: 法句経
本当に久しぶりに法句経です。

法句経についてはコチラ→圓諦さん言葉を選ぶ


十九

意味深き経文(みおしえ)を   いくそたび口に誦(ず)とも 

身にもしこれを行わず   心、放逸(おこたり)にふけらば

沙門(ひじり)とよばん

そのあたえはあらず   まこと、むなしく

他人(ひと)の牛をかぞうる   かの放牛者(うしかい)にたとうべし


現代語訳
たとえ、意味深い経文の数々を読んだところで、そのおしえを実際にふみ行わないで、安逸をむさぼっているならば、そうした人は、ちょうど、あの牧者が他人の牛を数えているのと同様である。そうした人は修行したところで何ものをもえない。

二十

経文(みおしえ)を口にそらんずる 

まこと少分(わずか)なりとも   身に行うこと法(のり)にかない

貪(むさぼり)と怒(いかり)とおろかさとを捨て

智慧(ちえ)は正しく   心よくほどけとき

この世にも著せず   かの世にも執せざるもの

彼こそ沙門(ひじり)の列(みち)に入らん


現代語訳

たとえ、意味深い経文を少ししか読まないまでも、正義の法をさながらに実践して、むさぼりと、いかりと、おろかさとをはらいすて、真実の知識に到達し、精神に於いての自由を得て、この地上に心をひかれず、かの来らん世をも憧れぬ人こそ、修行者の列に入ることが出来る。


私は最近、法句経をみると、ついついダイエットと関連付けてみてしまうんです…
今回も…


ダイエット方法っていろいろありますよね。
毎年、毎年、これでもかっ!!ってほど、新しいモノが出てきます。

私を含め、それにおどらされる人も、わんさか…

そんな私を戒めることばなのではと思ってしまうほど、なぜかしっくりきました。


ただいま、ダイエット軌道修正中のワタクシ。
ちょっと食べ過ぎちゃいました。

目標達成期日をちょっと先に延ばそうかな~、と思ったところ、
専属トレーナーである、新米和尚から「待った!」がかかりました。

いったん、先延ばしにすると、クセになるよ、と。


なるほど~~~

ほんとに、そうかも!!!

ってことで、ちょっと甘いものの量を減らしています
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2012
09.23

3ヶ月で減ったのは…

Category: 法句経
ダイエット宣言をしてから、早3ヶ月が経とうとしています。

その3ヶ月で減った体重は…2kg

今まで、何度も何度もダイエットに挑んでは、挫折していた私ですが、
(結婚式前だけは、なんとか減らしましたけど…)
なんとか、ここまで来ました!

3ヶ月で2kgって、どんだけスローペースなんだ!?って感じですが、
私はそれでもいいと思っています。
むしろ、その方がリバウンドしづらいんだそうで。
(見た目が、特におなか周りがほとんど変わらないのが辛いところ

単品ダイエットをしているわけでも、
毎日1時間ウォーキングをしているわけでも、
甘いものを絶対食べないようにしているわけでもないのですが。

体重を毎日計って、グラフにつけたり、
5分くらい筋トレしてみたり、(毎日ではない…)、
お菓子をつまみたくなったときに、「それ、本当に食べたいの?」と自分に聞いてみたり、
プチ目標を達成した時の楽しいご褒美を考えてみたり。

こんな、ちょこちょことした、でも、
「私は体重を減らしたいのだ~」という意識は忘れないようなことをしています。

そして、ここでも登場するのが、手帳術とセルフカウンセリング

手帳でゴールやプラン、現状を視覚化できるようにし、
セルフカウンセリングで自分に合った方法を自分で考える。

人間の脳って、生きていくために、飽きっぽいように出来てるんですって!!
でも、それを逆手にとって、習慣にしちゃえるとコッチのもんで…

まだ、そんな域には達していないのですが


ここで、久しぶりに法句経のご紹介です。
法句経についてはコチラ→圓諦さん言葉を選ぶ


十七

あしきを作(な)す者は 
いまにくるしみ のちにくるしみ
ふたつながらにくるしむ
「あしきをわれなせり」と かく思いてくるしむ
かくて なやましき行路(みち)を歩めば いよいよ心くるしむなり


現代語訳
悪を行ったものは、この地上でもその心を悩まし、来らん世にも又その心を悩ます。
「私が悪いことをしたのだ」こう彼は考えては、心を悩ます。更に心を苦しめる。のろわしい次の生涯をうけて。

十八

善きことを作(な)す者は
いまによろこび のちによろこび
ふたつながらによろこぶ
「善きことをわれはなせり」と かく思いてよろこぶ
かくて 幸ある行路(みち)を歩めば いよいよこころたのしむなり


現代語訳
慈善を行ったものは、この地上によろこび、来らん世にも又よろこぶ。かくて二つのところに自らの心をよろこばしめる。「私はほんとうに善いことをしたのだ」こう彼は考えては、自らの心をよろこばせる。彼はいやが上にも自らをよろこばせる。幸多き次の生涯をうけて。


お釈迦様の重みのある言葉を自分のダイエットと重ねていいものか…、とも思いますが、
そう感じるんだから、しょうがない!


私のダイエットにとって、
「あしきこと」とは罪悪感感じるほど間食しちゃうこと。
「善きこと」とは幸せな気持ちで甘いものを食べること。


そして、久しぶりにあった祖母に、
「まめこさん、キレイになったね。」
なんて、言われた日には、
そりゃあ、楽しくなるっしょ、ダイエットが
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2012
07.06

ダイエット その後 (法句経15・16)

Category: 法句経
先日ダイエット宣言したワタクシです

その後どうなったか気になっている方も多くいらっしゃ・・・らないか

まぁ自分を励ますために経過を書いてみます!


その前に法句経の紹介です。


十五

悪しきことを作(な)す者は  ここに憂い  かしこに憂い
ふたつながらともに憂う
おのれの  けがれたる業(ふるまい)を見て  彼は憂い  彼はなやむ


現代語訳
害悪を行ったものは、この地上でもその心をいため、来らん世でも又その心をいためる。かくて二つのところに自らの心をいたましめる。彼は心をいためる。彼はおそれおののく。おのが行ったこところの、けがれたる結果を目にして。

十六

善きことを作(な)す者は  ここによろこび  かしこによろこび
ふたつながらよろこぶ
おのれの  きよらなる業(ふるまい)を見て  彼はたのしみ  彼はよろこぶ



現代語訳
慈善を行ったものは、この地上によろこび、来らん世にも又よろこぶ。かくて二つのところに自らの心をよろこばしめる。彼はよろこぶ。彼はいや更によろこぶ。おのがなせるところの清らかな結果を目にして。


ダイエットを成功させるには明確な目標を設定すべし!ということで、考えてみました。

第一に、なんで私は体重を減らしたいのか??

・おなかのブヨブヨが嫌。腕の太いのが嫌。足が太いのが嫌。(全身太いな~…)だから。
→なんで太いのが嫌なのか??
・着たいな、と思った服(ノースリーブワンピースなど)をあきらめることがあるから。
→なんであきらめるのか??
・着たいな、と思った服を今の体型で着ても、人前に出るのが恥ずかしいし、そもそも自分が楽しくない!

だから体重を減らしたいのだ~~~~~

ということでいろいろプランを考えてみました。

その一つが食後のデザートについて!
ありがたいことに、夫の習慣に合わせていたら、普段の生活では間食はしなくなりました
が、その分、食後のデザートをもりもり食べちゃう

そこで、デザートを罪悪感感じるほどは食べないようにする、というプランに行きつきました!

デザートを食べられることで「ここによろこび」、量をセーブすることで「かしこによろこび」、ですね~。


ゆるい?ゆるくなきゃ続けられませんよね。うん、うん。


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2012
06.29

ダイエット宣言! (法句経13・14)

Category: 法句経
久しぶりの法句経ご紹介です

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十三
そあらに  葺(ふ)かれたる  屋舎(いえ)に  雨ふれば  
漏れやぶるべし  かくのごとく
心ととのえざれば  貪欲これを破らん

(現代語訳 
 そあらに葺いたところの家には、雨がうがち漏れるように、反省することのない精神はこれとちょうど同じく、
本能的愛欲のために破りうがたれる。)

十四
こころこめて  葺(ふ)かれたる  屋舎(いえ)に 雨はふるとも
漏れやぶることなし  かくのごとく
よくととのえし心は  貪欲もやぶるすべなし

(現代語訳
 こまやかに善く葺いたところの家には、決して雨がうがち漏れないように、よく反省せられた精神はこれとちょうど同じく、本能的愛欲のために破りうがたれることがない。)



圓諦さんいわく、「法句経全体に流れている思想は厳しく、かつ、ラジカルである。」とのこと。
この厳しい部分はお釈迦様の若い頃の主張のようです。

正しいことを言っているのはよ~くわかるけど、耳が痛い

私も食欲が抑えられず、何度ダイエットを失敗したことか…
衝動買いで失敗したものも数知れず…
我欲のために、イライラしてしまうこともしばしば…


よし!せっかくこのお釈迦様の言葉に出会えたのだから、再び体重調整に挑戦してみよう
まずは心をととのえることから~

ちなみにダイエットの成功の秘訣は目的意識をしっかり・具体的に持つことだそうです
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2012
05.24

法句経11・12

Category: 法句経
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法句経

十一
精要(まこと)なきものに 精要(まこと)ありと思い
精要(まこと)あるものを 仮(あだ)と見る人は
いつわりの 思いにさまよい
ついに真実(まこと)に 達(いた)りがたし

現代語訳
本質でないものを本質であると考え、又、これとは反対に、本質であるものを本質でないものと見るような、こうした人々は決して本質に到達することは出来ない、むしろ、あやまった思想の境界をさまよう。

十二
精要(まこと)あるものを 精要(まこと)ありと知り
精要(まこと)なきものを 仮(あだ)と見る人は
正真(すぐ)なる思いに たどりすすみ
ついに真実(まこと)に 達(いた)るべし

現代語訳
本質であるものを本質とし、本質でないものを本質でないものとするような、かく正しい認識をする人々は、ついに本質に到達することが出来る。したがって正しい思想の圏内に住する。



お寺は何のためにあるのか。  お寺はだれのためにあるのか。

そんなことを住職の言葉から考えさせられた。


欲張っちゃいけないよ。

そんなことを寺庭の行動から教えてもらった。
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2012
04.11

おやつがやめられません・・・(法句経七・八)

Category: 法句経
まずは法句経七・八を紹介
法句経についてはコチラ→圓諦さん言葉を選ぶ




世のことすべて美(うるわ)しと観(み)
諸根(こころ)ただおもむくままにまかせ
口にするもの節度(はかり)なく、
こころはよわく はげみ少なし
誘惑者(まよわし)かかる人を
その魔手(て)にはとらえん
まことに、かのつよ風の
力よわき樹木(き)を吹き倒すごと


現代語訳
外界の美しさをさながらに観察して生活したり、もろもろの官能を恣(ほしいまま)に享楽させてこれを制御しなかったり、食物についても又その量をつつしまなかったりするところの、怠惰であり、かつ努力に乏しい人は誘惑者たる魔(まもの)に征服せられる。ちょうど、あの風がかよわい樹木を吹き倒すように。




世のことすべて美(うるわ)しとは見ず
諸根(こころ)はよくととのえられ
くちにするもの、定量(ほど)をこえず
心信(こころしん)に、はげみはつよし
誘惑者(まよわし)もかかる人を
その魔手(て)にはとらうすべなし
まこと、つよ風の
微動(さゆる)がぬ岩山のごと


現代語訳
外界の美しさに支配されることなく、その実相であるところの美しからぬすがたを認識して生活したり、もろもろの官能を恣(ほしいまま)にさせずによくこれを制御したり、食物についても、又その量をつつしむところの、確信あり、努力に富める人は、誘惑者たる魔に征服せられることがない。ちょうど岩山にふきつけるいたずらな風のように。


はぁ~~~、耳が痛いです

私の生活見られてるのかしら、と思うほどのお釈迦様のお言葉。

おやつ、やめられないんですよね~。しかもほどほどの量にとどめておくことが出来ない。
もうちょっと食べたいな。あれも食べたいな。って思って手が伸びちゃうんですよね。


食べたとき、幸せ~って思う自分がいるから全くもって悪いことばかりではないと思いますが、
一つで満足!って行動をコントロールできたときに気分がよくなる自分がいるのも事実です。


いつもいつもは難しいかもしれないけど、
ちょっと自分をコントロールしてみようと励んでみると、
違った景色がみられるような気がします


体重計の目盛りが目標に近づくおまけもついてきたりして~
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2012
03.27

死むって何?

Category: 法句経
3歳の長女が私に聞いてきた。

「死む(死ぬ)って何?」、と。

私は「この世でのお仕事が終わることだよ。」とこたえた。


でも、
正直よくわからない
うまくこたえられない



お寺で生活していると、今まで以上に死を身近に感じる。
だからこそ、ありがたいことに、「生」も強く感じることができる

小さい頃からお寺で生活している知人は、
“いつ死んでも後悔しないように毎日を過ごしている”
と言っていた



さて、法句経にも、死について触れている詩がある。
(法句経についての過去の記事は、右のカテゴリーをチェックしてください。)



「われらはここ
 死の領域(さかい)にあり」
道を異にする人々は
このことわりを知らず
このことわりを知る
人々にこそ
かくていさかいは止まん


現代語訳
「私達はここで、やがて死ななければならないのだ。」
このことを他の人々は、ほんとうに気づかないでいる。誰でも、もしこの事実を自覚するならば、
その人には、もはや、あらそいというものがなくなってしまう。



「死」を感じることは日々を穏やかにし、また、充実させる秘訣なんだろうな~
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2012
03.14

お母さんが悪い・・・

Category: 法句経
最近の長女の口癖

「お母さんが悪い~

食べさせてくれなかったから・・・
靴をはかせてくれなかったから・・・
TVCMを見てくれなかったから・・・

魔の2歳児を経て、自己中3歳児炸裂です


でも、これって対象は違えど、自分にも思い当たる節が大いにあります。
誰かのせいにしちゃうこと。


法句経にもうらみについての詩があります。
“うらみ”といっても、こんな日常のささいなことから人を傷つけてやりたい!と思ってしまうものまで様々だとは思いますが・・・


法句経 五

まこと、怨みごころは
いかなるすべをもつとも
怨みを懐(いだ)くその日まで
ひとの世にはやみがたし
うらみなさによりてのみ
うらみはついに消ゆるべし
こは易(かわ)らざる真理(まこと)なり


現代語訳
まことに、他人をうらむ心を以(もっ)てしては、どうしても、そのうらみを解くことは出来ない。ただ、うらみなき心によってのみ、うらみを解くことが出来る。このことは永恒(えいこう)に易(かわ)ることのない真理である。




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2012
02.28

おこる

Category: 法句経
いつもの図書館で借りた絵本

『おこる』 作 中川ひろたか・絵 長谷川義史 (金の星社 2008)

おこる

主人公のぼくは毎日おこられてばかり。

なんでおこられるんだろう、と考えて一人遠い場所へ・・・。


ぼくも妹におこったり、お母さんにおこったり、お父さんにおこったり、友達におこったり。

なんでひとはおこるんだろう、と考える。



この本の中で答えは出ないのだけれど、
最後にぼくは
おこったあとって こころはどんより。
おこったからって きもちがすっきりするわけじゃない。
なるべく おこらないひとに なりたいんだけどなぁ。

と言っています。

「そうだよね~」と深くうなづいてしまいます。



法句経の中にも怒りという項目があり、14の詩が掲載されています。
ただ、この項目についても全部で26あるものの、便宜的に一応整理しただけのようです。
なので、怒り・おこるということについて14以上にあるものと思われます。

その中の一つを紹介します。


「彼、われをののしり
 彼、われをうちたり
 彼、われをうちまかし
 彼、われをうばえり」
かくのごとく こころ
執する人々に
うらみはついに
熄(や)むことなし

現代語訳
(「彼は私を罵ったのだ。私をなぐり、私を敗北させ、私から掠(かす)めたのだ。」
 こうした考えに執着する人には、そのうらみは息(やす)むことがない。)


「彼、われをののしり
 彼、われをうちたり
 彼、われをうちまかし
 彼、われをうばえり」
かくのごとく こころ
執せざる人々こそ
ついにうらみの
止息(やすらい)を見ん

現代語訳
(「彼は私を罵ったのだ。私をなぐり、私を敗北させ、私から掠(かす)めたのだ。」
 こうした考えに執着しない人にこそ、そのうらみは消えうせる。)


このお釈迦様の言葉と“ぼく”の気持ちがつながっているように感じられました。
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2012
02.03

言葉を選ぶ

Category: 法句経
圓諦さん訳の法句経・・・

その翻訳についてはいささかの自信もない、とは圓諦さんのことば


訳す、というのは英語の授業で誰しもが経験していることだとは思いますが、やはり、その国の文化や生活基盤を知らなければ、しっくりした訳というものはなかなかに難しいものです。
しかも、体験したことや気持ちをうまく言葉では言い表せない、ということもよくあることです。


お釈迦様が皆に伝えたかった言葉。
それを詩の形を崩さず、深みを保ったままに訳す。
圓諦さんの仏教への深い信仰、深い理解があっての言葉選び。

偉業、というのはこのようなことを言うのかもしれない、と思うのです。

見ていたわけではないですが、
圓諦さんがコツコツと、あの言葉、この言葉、それともこちらか・・・と悩み選ぶ姿が目に浮かびます。



そんなことを考えながら、法句経を味わってみるのもいいかもしれません。




意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
諸法(すべて)は意(おもい)に成る
意(おもい)こそは諸法(すべて)を統(す)ぶ
きよらなる意(おもい)にて
且つかたり 且つ行わば
形に影のそうごとく
たのしみ彼にしたがわん


現代語訳↓
もろもろの事象は意志にしたがって生起する。それゆえに、意志はそれらに対して支配者であり、作者である。
誰でも、もし純な意志をもって、或いは語り、或いは行うならば、やがて、たのしみは彼にあとづける。
ちょうど、あの離れることをしない影のように。
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2012
01.31

圓諦さん

Category: 法句経
友松圓諦(ともまつ えんたい)とは、私の曽祖父の弟さんです。
お米屋さんの次男として生まれ、親戚のお寺に預けられ、宗教家としての道を歩んだ人です。

この圓諦さん、お坊さんの中ではまあまあ有名人みたいです。
私がお寺にお嫁に来られたのも、この人の名前のおかげかも・・・

実家にいる頃から、時折円諦さんの名前は祖母から聞いていましたが、そのときは「ふんふん・・・」ってな感じでそれほど興味はありませんでした。

ただ、最近、住職の蔵書の中に『法句経 友松圓諦訳』を発見し、読んでみたところ(まだ途中だけど)、
「うわ~~~、この人すごい人なんだ~~~」と今更ながらに思ったのです。

この法句経(ほっくきょう)はお釈迦様の死後、かなり早い時期に集録したものなので、お釈迦様の実際の言葉に近いもののようです。
この法句経、すべて詩の形式をとっています。
実際お釈迦様がみんなの前で詩を詠んだかは定かではありませんが、この本の解説の部分に
・なるべく記憶しやすい工夫の一つ
・詩であれば、抜け落ちたり、余計なものが混じりこむこともしにくい
とあり、なるほどね~~、と新米和尚と納得してしまいました



さてさて、これからこの法句経を一つづつ紹介していこうかな~、なんて考えています。


では早速・・・



意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
諸法(すべて)は意(おもい)に成る
意(おもい)こそは諸法(すべて)を統(す)ぶ
けがれたる意(おもい)にて
且つかたり 且つ行わば
輓く(ひく)ものの跡を追う
かの車輪のごとく
くるしみ彼にしたがわん


現代語訳↓
もろもろの事象は意志にしたがって生起する。それゆえに、意志はそれらに対して支配者であり、作者である。
誰でも、もし不純な意志をもって、或いは語り、或いは行うならば、やがて、くるしみは彼にあとづける。
ちょうど、車を挽(ひ)いてゆくものの足跡を追ってゆく車輪のように。
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